不登校で困ったこと – 学校に行かなかった頃6

「困ったこと」とは不登校中ではなく、不登校の後についてです。

こんなタイトルをつけておきながらナンですが、不登校が原因で特段不都合があったか、今となってはなんとも言えません。生きていれば誰しも何かしら「困ったなあ」には出会うもの。
仮に学校に通い続けていたならより苦しい思いをしていた可能性もあるわけで。
なぜなら行かなかった理由が
「行きたくない」
だから。

行きたくない場所に行き続けるのは苦しい。
やりたくないことを続ければ苦しいんだから。

ただ、『不登校で良かった、5つのこと』を書いたので、逆に”困ったこと”はなんだったか書いておこうと思いました。

3年間の不登校をやり、
「ではそろそろ…」(←軽い)
と中学校進学のタイミングでまた毎朝学校へ行く生活を始めました。

平日も何も関係なく家で好きな時間に起き、寝ていた生活から、
規則正しく毎朝起き、夜は寝る生活へ。
そんな生活リズムの変化はもそうですが、
それよりも何よりも!わたしにとっての大きな変化は、
コミュニケーションをとる人数の激増

それは朝8時から部活が終わる夕方6時くらいまで10時間ぶっ通しで中学生に囲まれる生活。
まあ、自分も”中学生のひとり”として中学校に通っているからしょうがない。

学校に再び行き始めたときの”困ったこと”をあえてひとつあげるなら
それは、
「話し方を忘れた!」です。

どうやって話してたっけ?

中1のクラスでは首尾よく、女子5〜6人できゃっきゃと話す輪には入れた。(上出来!)

その中で、怖い…と感じる瞬間はこんな時。

わたしが発言した直後
… (シーン)(沈黙)

りさの心の声〈ん?? なんだ、この空気は。わたし、おかしなことを言ったに違いない…
どうやって話してたっけ??
わたし、友だちとの話し方忘れてる…〉

言葉のキャッチボールで自分の投げるボールがぽいぽい、頭上に背後に時には相手の心臓めがけて飛んで行ってしまいます。
自分でもどんなボールが繰り出されるのかさっぱりなまま、
わたし以外のみんながカラフルなボールを放ち合い、受けとるのを見て「みんな、うまいなあー」と感心するわたし。

中1の時、担任の先生に相談してみた。
小学校から中学校へ情報の引き継ぎがあったので、
元不登校の生徒(りさ)の経過を見るために担任を受け持った先生が様子を聞いてくれたんだと思います。
「学校、どう?何かある?」って。

これはいい機会だ、と話してみました。

りさ「みんなで輪になって喋ってて、でもわたしが喋った後にシーンってなるのが怖い」

と話したら、担任は一言。

先生「うーん。それはいっぱい人と話して慣れていくしかないね。」

りさ(がーん。いっぱい人と話してまた何度もシーンとなるのが嫌だから言ってるのに!なんのアドバイスにもなっとらん!!!)

慣れていくしかない
つまりは”実践で場数を踏む”ということですよね。
今となってはこれ以上のアドバイスはないとわかりました。ありがとうございます。

あの、アルファベット2文字

この悩みはその後もずーっと生き続け、それでもなんとかかんとか当たって砕けて、(大体は当たらないようにして)やっていたのですが。
数年後、高校生になるとあるアルファベット2文字の組み合わせが一斉を風靡し始めました。

K

Y

ケー、ワイ
(空気、読めない)
もう死語なんでしょうかね。平成10年よりも最近お生まれになった方々はご存知なんでしょうか、KY。
2004年か2005年あたりには同年代の人たちはほぼ意味を知っていたと記憶しています。

「お前、空気読めやーー」
「うわ。まじそれ、KY」
同級生N田の声が、またS木の声が、今もリアルに耳の奥に響きます。

※以下、グレー文字はとばしてよいです。

さて、話は少しずれるようですが言葉というものは果てしない力を持っていますね。(言語学者風の口調で)

“言葉”が生まれると同時に、”概念”が生まれる。
“概念”が生まれると”存在”することになる。

例えば『緑(みどり)』という色の名前。言葉です。
ご存知のように「青」と「黄」の間のアナログなグラデーションのどこかの範囲が”緑”となるわけですが、
それは
“黄っぽい青”でも、
“青っぽい黄”でもよいところに
“緑”という言葉をつける作業。
すると『緑』という概念が生まれ、
青と黄の間のグラデーションに線が2本ひかれる。
その2本の線の距離の範囲に『緑』が存在することになる。
やがてそれを知る人が増えると共通概念となります。

ただその状況やタイミングで周囲の人々の期待と異なる発言や行動をするというような…
説明に時間もかかる。そもそも周囲の人々ってなんだ?周囲ってどこからどこまで?期待って全員同じなわけなくないか?などなど曖昧すぎて定義できない、
なーんでもなかった、なーんにもなかったところに、
『KY=空気読めない』という言葉が誰かの頭の中で作られ(まったく、クリエイティヴなものです)、
発言され、伝染してゆくとともに、
人々の間で「KY」という共通概念が持たれるようになります。

すると、”この人は(発言は)KYか否か?”という問いが成りたち、
問いに対しての答え
“はい、KYです。”
または
“いいえ、KYではありません。空気読めています。”
のジャッジができるようになる。

ついには『KYな人』まで”存在”することになる。

言葉は多数決ですから、使う人の人数が増えてれば増えるほどにその概念は強固なものとなります。
(↑重要なことですが本題からそれるので太文字にはしません)
ゼロから”存在”を作りだすのが言葉です。

…長くなりました。話を戻します。

「どうやって話してたっけ?」と漠然と感じていたものが、
『KY』の登場によって
「自分、空気を読めない。」と極太1.5cmのマッキーで黒ぐろと輪郭を描かれるようにはっきりと言語化されました。

わたしの発言直後に沈黙が訪れる。
それは高校3年生になっても時たま起こり、その度に怖しい気持ちを味わっていました。

空気が、全然、読めない…
読み方が、わからない…

読める人って、どこかにいるんですか?
“空気”とは気体であり、基本的に無色透明だから目視できないものと思っていたわたしは間違っているのですか?
特殊能力保持者ですか?
みなさんには可視光線でもわたし含め一部の人には不可視光線のあれですか?
モスキート音の視覚バージョン、ついでに識字能力もプラスバージョンですか?
…この言葉、ほんとうに迷惑!

わからなすぎることに疲れたわたしは
「空気は読むもんじゃない、吸って吐くもんだ!!」
との発言を繰り返していました。

今も、空気の読み方はわからないままです。

それは筋肉痛だった

使わない筋肉が衰えてゆくように、
使わない能力はゆっくりと衰えることがある。
3年間ものギャップがあれば、”話し方”だって忘れてしまう。いたって自然。

15年ぶりにスケート靴を履いたとき、
30年ぶりにに絵筆をとったとき、
「あれ、自分てこんなに下手だったかな?」って。焦るかも。
それでも続けてゆくといつの間にか昔の勘を取り戻して、ついにはその当時の自分を超える時が来る。

ずーっとベッドの上でごろごろしていた生活から
再びボールを投げ始める時に訪れる筋肉痛

ボールが届く距離が延びていったり、キャッチボールの相手に出会う度に
身体のどこかしらの筋肉が鍛えられ、痛みを感じる。
肩、背中、腰、脚…
今も、これからもあちらこちらに筋肉痛を抱えながら生きています。

結局…

不登校であっても、なくても、持って生まれた元々の性格によってこの「困り」にはぶち当たっていたのかもしれない。
それは今となってはもう知る術はありません。
(無数にあるパラレルワールドのどれかのわたしにそっくりな、だけど小学校は6年間登校し続けたその人を観測しないことには。)
結局、困ったって、困らなくたってどっちだっていいと思っています。

話し方を忘れて焦ったあのりさは今、
(ほぼ)毎日、誰かと言葉を交わして生きています。

キャッチボールを楽しんでもいます。
いつだって優しくて真剣なボールを投げる練習中です。
ボールを受けとるのも、少しずつ上達しているかもしれません。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。
それでは、また^^