生き物相手の仕事で起こる「認知的不協和」とは – もと酪農スタッフに質問!vol.5
環境・健康・動物へもたらす影響を受け畜産業が抜本的な転換を求められる今、公平で平和的な転換の道を対話で見出す試み。
ヴィーガンであるLisaが酪農スタッフ 丸山さん(仮名)をむかえ、〈ヴィーガン×動物産業関係者〉という一見まったく立場の異なる2人が、皆さんからの質問をきっかけに酪農家の目線にせまる。
牛への愛着と暴力で起きる『認知的不協和』
Lisa:研修・就職先の酪農家さんの牛への扱いはどうでしたか?
丸山:みんな基本的に優しいです。ただ、これには衝撃を受けると思いますが…やはり牛が起立できるかどうかが生と死の狭間になるので、立てなくなり座っている牛の背骨をクワなどでコツコツと叩く酪農家の親方もいました。農家さんも殺すのはイヤだから牛に立って欲しくて必死になり「ここが一番痛いんだよ」と、背骨の部分をかたい金属製のクワで叩くんです。それが可哀想で当時の自分にとってものすごく衝撃的でした。「ああ、立てなかった」となれば、翌日には屠殺場行きのトラックが来るし、起立したら「よし立った!大丈夫」と胸を撫で下ろす、という感じです。
Lisa:起立できないと判断すれば、翌日には屠殺場へ送るのですね。「殺すのはイヤ」というのは、どんな意味合いなのでしょうか。
丸山:自ら育てて芽生えた愛着があるからだと思います。複雑ですよね。すごく愛着のある子でも商売がかかっているから、叩きたくはないけど、立たせなくてはいけない。暴力といえば暴力ですが、その状況にいる親方にとってはやむを得ない状況。
Lisa:お話しをうかがって、それは「牛に愛着がある」と「暴力を行使しなければならない」「殺さなければならない」という認知が相反する『認知的不協和(cognitive dissonance)』の状態といえると感じます。
畜産業に限らず、丸山さんのように動物好きな人が選ぶ動物園や水族館、“ペット”産業、競馬など、現代社会で動物に関わるは産業は、同様に直接的な暴力や拘束を伴います。
非人間動物に主体性や個性があるのは百も承知で悪いと感じつつも、動物園ならば「教育のため、種の保存のため」といったこれまでとってきた行動を正当化できる言説に落ち着こうとしますし、動物産業従事者以外の私たちも、動物が苦しみを感じるとわかりながらも「いただきます、と感謝すればよい」などの理由を求め購買行動で産業=動物の苦しみの存続をサポートすることになります。
これらは馴染みある行動をを正当化する、という方法でもって認知的不協和を解消しようとする例で、私も人生の大半はそうでした。でもそうではなく、非人間動物を苦しめない世界を目指す道もあるんですよね。それがヴィーガンになることなのでした。
酪農家に365日休みはない
〈!! DISCLAIMER !!! 以下の証言によって酪農ヘルパー職一般を判断する意図はありません〉
Lisa:自分はフレキシタリアンやベジタリアンを経てヴィーガンになりました。それまでは「お肉は動物を殺すけど、牛乳は殺さずお乳を搾るだけ」というナラティブを信じ乳製品を許容していました。起立不能となった牛は「廃用牛」として食肉用に屠殺場へ送られるといった事実は、動物について調べ始めてから知ったことで、きっかけがなければ知らないままだったかもしれません。立てなくたった牛を「へたれ牛」と書いたブログを読み驚きました。
丸山:農家さんによっては、扱いが荒いところもあるようです。自分が働いていた当時のことなので、今はわからない前提の話ですが…
酪農は365日休みなしなので酪農ヘルパーさんを雇います。ヘルパーさんにとっては日々接してる牛でもなんでもなく、単なる業務の一環としてしか見ていないからか、立たない牛に暴力をふるい無理矢理立たせたりする人もいて、「ヘルパーさんが来た後に牛が弱っている」という話は農家さん同士で交わされる普通の話題のひとつでした。「だから自分の牧場ではヘルパーさんは雇わない」と聞くこともありました。
Lisa:当時、その地方でヘルパーとして働いていた特定の人の可能性もありますよね。
丸山:特定の人かもしれないですね。自分は農家さんからそう聞いてたのでヘルパーさんが来ても歩み寄れませんでした。でも、やはり農家さんにとっては酪農ヘルパーさんの存在は助かりますよね。誰にでも任せられることではないし、ヘルパーさんのような人に頼るしかないので。
Lisa:需要の高い職なのでしょうか。以前、ネット上で酪農ヘルパーの求人を見かけました。
丸山:今は当時から状況が変わったかもしれませんが、普通に(酪農家の)正社員として働くよりも給料が高めで、きちんと休日も決められて増田。安定という意味で人気の職でした。
酪農家によってやり方がそれぞれ異なるなか、現場に入ってすぐに仕事が出来る臨機応変さはすごいと思っていました。
NOTE
日本の酪農は約80%が家族経営*。丸山さんの様な常勤スタッフを雇用する農家は少数派といえます。高齢化は酪農業でも起こっており、肉体的な負担が大きい仕事のため跡を継ぐ人がいなければ廃業を選択します。複数軒の酪農家が集まり法人化するケースもあります。その場合、業務を共同で行ったり、スタッフを雇うため例えば週1〜2日の休日をとることも可能です。
(*2011年度 https://www.dairy.co.jp/jp/jp03.pdf)
生き物相手って、どういうこと?
丸山:酪農家さんはよく「生き物相手だから」と言いますが、だいたいその一言で片付けられている気がします。牛をクワで叩いて立たせる行為の理由も、やっぱり「生き物相手だからねー」で終わる。
Lisa:これまでやってきた稼業を続ける前提の思考だとも感じます。酪農業を続けるには「生き物」である体の大きな牛に、自分で立って歩いてもらわなくてはいけない、それがクワで叩く理由になる。
より深く向き合うと、農家さん個人のアイデンティティともいえる酪農そのものに対してクリティカル(批判的)な視点を得る恐れがでてくる。アイデンティティをまもるために心理的な自己防衛をする部分もあるのかと。だからこそ、何代も続いた畜産農家さんが自ら畑作などの別の事業に転換する姿に自分はとりわけ心を打たれます。
丸山:そうですね。思考停止はあると思います。自分も当時は朝が早いことひとつとっても「生き物相手の仕事だから、生き物に合わせて人間も動かなくてはいけない」と言われ続けていて、牛は生き物だとはわかってはいましたが…
農家さんも「そもそも」に立ち返り「生き物相手とは、どういうことだろう?」と(思考停止の先を)考えられたら、何かが変わると思います。そこをもっと追求すれば、もしかしたらヴィーガンに行き着くのかもしれない。