不登校が長くなると気になる?勉強の遅れのこと
学校へ行かなかった、と話すと時たま聞かれます。
今回は勉強の遅れについて、あくまでもひとつのサンプルとしてわたしの体験に触れておきたいと思います。
その前に、質問です。
もしあなたがこのタイトル『不登校が長くなると気になる、勉強の遅れのこと』が気になってこのページを読んでいるとすれば、それはなぜでしょうか。
”遅れ”ってなんだ?
”勉強の遅れ”
この言葉を見てどう感じるでしょう。
もし何かひっかかる感じがあるとすれば、どこにでしょうか。
”遅れ”?
”勉強”ってなんでしょうか。
遅れたら何かが起こる、と思っている自分がいますか?
起こることって何でしょう。
”遅れ”って存在するのでしょうか。
学校での進み方と同じスピードで勉強するのがよいのでしょうか。
それはなぜでしょうか。
そう感じるためには、あなたは何を信じていなければならないでしょうか。
それはどこから来ているのでしょうか。あなたの経験からでしょうか。
もし可能なら手をとめて湧き上がってくるそれをじっと感じてみてください。
いまどんな感情ですか? 何が見えますか? 何が聞こえますか? 何色ですか? 感触は?
答えが出るのにもう少し、時間がいるかもしれません。
わたしの体験から
今のところ、勉強についてわたしの答えは、
”自分がやる気になれば、やる!できる!”です。
算数は中学以降の数学の基礎になるし、積み重ねてゆくものといえばそうだと思います。
わたし個人の体験と承知の上であえて言うと、小学校高学年の算数はすっぽりとやっていなかったけれど中学校から勉強を再開し、高校は進学校へ合格する学力はつきました。
基本的に学校の授業は集中して聴くタイプでしたが、定期テストや入試へ向けての勉強はどうやればいいかいまいちイメージがつかめずにいました。
そうして中2が終わろうとする頃、
「志望する高校へ行くに必要な勉強の仕方が今の自分にはわからない!
…そうだ、塾に行こう!」
そう思い立ち自分から「塾に通わせてください」と親に頼んで中3からは塾に通いました。(決して安くはない塾の費用…捻出してくれた親に感謝…)
塾の休み時間に寝たりしたことはあったけれど(成長期ですから〜)行きたくないからという理由で欠席したことはありませんでした。
自分で、わたしは塾に通う必要がある。と判断したから。
その判断が正しいか?正しくなかったか?ではなく
自分で決めたか?それとも他人が決めたことに従ったか?が問題。
え、わたしだけ?その公式知らないの?
小学校でみんなが学んだことをわたしだけ知らずに「あれま!」となった経験はあります。中学校の数学は小学校の算数を踏まえて授業が進むので、まあそんなこともありました。
よく覚えているのは、空間図形の内容。
その問題を解くには『四角錐・三角錐・円錐』などの立体の体積の求め方が必要でした。【(底面積)×(高さ)× 1/3】 のやつです。
授業中、「今から先生が説明してくれるんだなー」と待っていたんですが、体積の求め方には触れずにどんどん解説は進んでいきます。
中1のりさの心の声〈ん?先生、全然説明してくれないんですけど!?当然のようにスルーしたんですけど!?〉
黒板にしれっと書かれた途中計算:(底面積)×(高さ)× 1/3 …
心の声〈え、なにその”1/3(さんぶんのいち)”って?? もしかしてこの計算のやり方を知らないの、わたしだけ?ってことは小学校で習ってたのか… あれま!〉
公式ひとつくらいはそのタイミングで覚えれば大丈夫なので困りはしませんでしたが、その前後も何度かそういうことはあったと記憶しています。
わたし、小学校高学年の勉強しなかったんだなあーと実感した出来事でした。
24時間で算数マスター
小学校で6年間、中学校で3年間かけて少しずつ、勉強する。積み重ね。それがいわば常識でしょうか。
そんな一見、当たり前の学校の勉強について考えさせられる事例があります。
サドベリー・バレー・スクール(Sudbury Valley School)というアメリカはマサチューセッツ州ボストンにある学校。デモクラティック・スクール(Democratic School 直訳すると、民主的な学校)と呼ばれるスタイルの教育方針で1968年に創設されました。
どんな学校なのか、簡単にいうと学年やクラス分けもされてない(!)時間割や授業がない(!)。他にもいわゆる普通の学校にはないもの、あるもの、色々な特徴があるのですが、最重要にして最大の特徴。それは、何をどうするのか、自分のことは自分で決めることでしょう。
その日、何を、どれくらい、誰とするのかは全くの自由。
そのサドベリー・バレー・スクールの創設者であるダニエル・グリーンバーグ氏の著書『世界一素敵な学校―サドベリー・バレー物語』にある生徒たちの算数の学びについてのエピソードが紹介されています。
ある日、12人の子どもたちが「算数を教えて」と頼みに来ます。週に2回、決まった時間に集まることでグリーンバーグ氏と合意した子どもたち。
するとその子たちは6年間かける算数の内容を合計で24時間でマスターしてしまったというのです。
わたしの前に座っているのは、九歳から十二歳まで十二人の子どもたち。先週、わたしのところに来て、足し算、引き算、掛け算、割り算、算数ならその他何でも教えてくれと頼んできた生徒たちです。
(略)
結局、算数の全教程を終えるのに二十四週間かかりました。週二回、一回につき三十分。ということは、トータル二十四時間で全てを学んでしまったのです。ふつうの学校なら六年かけて学ぶところを、たったそれだけで……。それも、全員が、すべてを習得し切ったのです。
引用:世界一素敵な学校―サドベリー・バレー物語(原題:Free at Last) ダニエル・グリーンバーグ 著
これには驚くグリーンバーグ氏。
ところが、初等数学教育の専門家アラン・ホワイト氏にこの経験を話したところ、驚く様子はなったそうです。
「そんなこと、別に驚くべきことでもなんでもありませんよ」と、アランは言いました。
「教科それ自体は、そんなに難しくないんです。では何が算数を難しく、ほとんど不可能にしているかというと、嫌で嫌で仕方ない子どもたちの頭に、無理やり教科を詰め込んでいく、あのやり方のせいです。
(略)
結局、わたしたちがなすべきこと、それは、子どもたちが求めたとき、求めるものを与えることなのです。そうすれば、まあ、二十時間かそこらで、彼・女ら、きっとモノにしてしまいますよ」。
引用:世界一素敵な学校―サドベリー・バレー物語(原題:Free at Last) ダニエル・グリーンバーグ 著
「子どもたちが求めたとき、求めるものを与えること」
これに尽きる!
想像してみてください。
お腹が空いていないうちに、どんどん目の前に運ばれてくるご飯、お味噌汁、天ぷら、茶碗蒸し、しめサバ、いちご、ピザ、シュークリーム…
ずーとお腹がいっぱいの状態で、「あれ食べたいな」なんて考えるスキもない。
満腹の人にどんどん食べ物を与え続けると、どうなるでしょう。
一方、お腹がペコペコで「ナポリタンが食べたい!」と求めたときに食べる、その一皿のナポリタンの絶大な美味しさときたら!
「算数が知りたい!」と求めたときに教わる算数の面白さ!
「魚釣りがやりたい!」と求めたときに湖に繰り出すわくわく!
そう求めたときにチャンスがある。それはもう夢中になる!ならざるを得ない!
最初の質問。
”勉強”ってなんでしょうか。
”勉強の遅れ”
この言葉を見てどんな気持ちですか。
最後まで読んでくださってありがとうございます。では、また^^