「そっか」- 学校へ行かなかった頃 2

もう20年ほど前のこと、10歳のわたしは家にずっといました。

どれくらい"ずっと"かというと、かなりずっと。玄関のドアから外に出ることはあれども、庭で飼っていた犬のチョビに水をあげたり、ブラッシングをしてやったりするくらい。

小学4年生でした。

ほんの何ヶ月か前までは朝家を出たら友達の家に寄り、その子と歩いて登校し、放課後も毎日のように自転車をこぎ遊びに出かけていた。
友達も多いほうで、女子も男子も分け隔てなく人形遊びもテレビゲームも外遊びもいろいろやって遊んだ。
いわゆる"明るい子"でした。

おとなになって「わたし、学校行ってなかった」と話した相手からよく聞かれるのは、
「いじめられてたの?」

ーいいえ、いじめられたことはありませんでした。

次に聞かれること。
「じゃあ、どうして行かなくなったの?」

行かなくなるのに、きっかけなんてなかった

「何も問題がないのに学校に行きたくない子?どうしてですか?
そんな子、わたしの通っていた学校にはいませんでした。わからないです。」

これは知り合ったある方と食事をしながらお話をしているうちに教育に関する話題になり、不登校になる理由をいくつか話していた時に実際に言われたことです。

「もちろんハッキリした理由があって学校行かない子もいるし、ただ行きたくないだけって子もいるんだよ。」

その時のわたしはそうとしか言えなかったし、今もうまく説明はできません。
でも説明できなくてもいいのかもしれない、とも思っています。

「ただ、猛烈に行きたくない!!!」

それだけが理由の子もいる。

いちばん、ありがたいこと

ふり返ってみて周りの大人、親や担任の先生にとってもとっても感謝していることがあります。

それは

"学校に行かない"選択を受け入れてくれたこと。

こういってもいい。

"家にいたい"選択を受け入れてくれたこと。
(最終的に、ですが!そこまでには長ーい道のりが…)

なにも、不登校を奨励しているわけではありません。
大事なのは、自分のしたいこと(わたしの場合は学校に行かずに家にいること)を「そっか、わかった」と受け入れてもらえたってこと。

そういうわたしを拒否せず、親も担任の先生も私をりさ個人として愛を持って接してくれていたように思います。ありがたい!

わがままを何でも許してやれ、という意味でもありませんよ。(言葉って難しい!)

理由はどうであれ「行きたくない」という反応を出しているその子に
「ダメだ!みんな行ってるんだからあなたも行け!」と否定すると、その子はどういう気持ちになるだろうか。

「今日は緑色のしましまのお気に入りの靴下がはきたい!」という子に
「ダメ!こっちの白い靴下にしなさい!」と無理やり白い靴下を履かせるとどうなるだろう。

じゃあこう言うとどうなるだろう。

「そっか。
(緑色のしましまか。まあいいか、命に関わるワケじゃあるまいし)」

「そっか」でいい時もある

中学3年生の時のクラスに、長期間学校に来ていないクラスメイトが5人いました。
今の平均と比べても、1クラスの人数あたりの長期欠席者はかなり多い方といえます。

そのときのりさは中学校進学をきっかけに、再び学校に通いだして3年が経っていました。

覚えているのは、ある日の学級会。

議題はその不登校のクラスメイトたちについてで、確かクラス委員長か誰かが教室の前に立ち
そしてみんなの意見が書記によって黒板に書き出されていたような。

誰が何を言ったのか細かいことは全然記憶にないけれど、
なんだかみんなの意見や議論の方向に、りさはものすごく違和感を覚えていた。
なぜなら、その議論は “どうやったら、学校に来ていないクラスメイトたちはまた学校に来るようになるか?” という視点でだけ進んでいて、
その他の視点は一切、誰も、発言していなかったから。

どきどき、自分の心拍数がどんどん上がっていくのを感じ、気づいたら発言していた。

りさ「その人がが来たくないなら、それでいいと思う。そっとしておいてあげて」

“そっとしておいて”
それは、わたし自身がわたしの周りの人たちに心の底から望んでいたことでした。

発言が終わる頃には涙目の涙声になっていました。

無視するのでもない、
どんなワガママにも甘やかして「はいはいー」ときいてあげるのでもない。

「そっか」

承認する。
「そっか」の姿勢、なんだと思います。

人が生きられるのはその人の人生だけです。その人の性質と経験だけを持っている。

あなたにはあなたが持って生まれた性質があり、それはあなただけのもの。
あなたにはあなたがしてきた経験があり、それはあなただけのもの。

学校に行かないなんて思いもよらないし、そんな選択肢があるなんて考えたこともない。
だから戸惑うかもしれない。
ただし、あなたからすると

あなたの性質、その子の性質、わたしの性質。
あなたの経験、その子の経験、わたしの経験。

他の人にぴったりは当てはめられない。それはお互いさま。

同じ性質でもなければ同じ経験をしていないから、同じ見方はできない。
大切なのは、それをお互いに認め合うこと。

理由は人の数だけあるし、
理由があったとしてうまく説明できないことだってある。
はっきりしない言葉でも、不器用な態度でも、
どんな形であれ欲求を表現した時には

「そっか、そう思うんだね」
「そっか、そうしたいんだね」

それだけで救われる。

このブログに綴るのはたまたまこの性質を持って生まれた、わたしだけの経験。
あなたにも、その子にもそのまま当てはめることはできません。

それでも、ひょっとしたらひょっとするといつか何かの材料にはなるかもしれない、という思いで書いています。

あなたの貴重なお時間、このページを読む経験にいただきましてありがとうございます。