「廃用牛」を屠殺場へおくるとき – もと酪農スタッフに質問!vol.4

日々、どんな気持ちで牛に接していたか

 

Lisa Shouda(以下、Lisa):牛達はいずれ屠殺場へ出荷するとわかりながら働かれていたと思いますが、その運命をどう捉えて牛達に接していましたか?

 

もと酪農スタッフ 丸山さん(以下、丸山):日常的に「お前はいずれ屠殺場へ行くんだよ」とは考えないです。「今日も牛乳出してくれてありがとう」とか「今日は元気だね」という気持ちで接していました。日々変化がある点は人間と同じなので様子を見て「元気ないね」とか「なんかちょっと体調悪いんじゃない?」と。気にかけるのはそういった日々の変化だけで、屠殺については考えずに日常は過ぎてゆきます。

ただ、仕事を経験するうちに屠殺場へ行くことになると知ってからは、立ち上がるのを嫌がる様子を見せたり、すぐに立たない牛は(酪農家に)「もう駄目だな」と屠殺対象と判断されては危ないので、起き上がらせる時は「ほら、ほらっ頑張って!早く立って!」という気持ちが芽生えました。

 

Lisa:牛はどんな時に立ち上がりたくない様子を見せるのでしょう。

 

丸山:乳牛は品種改変されているから、そもそもあの体重(※日本の女性ホルスタイン標準体重は650㎏)を支えるのに適した脚ではないんですよね。蹄屋さんに削蹄してもらうからやっと立てているような状態。

 

草が生えた地面なら滑らないけど、牛舎の床がコンクリートで、更にその上に糞をしているから牛にとってはツルッツルなところに、移動させるために「ほら急いで、急げー」と牛追いをします。みんな一斉にわーっと動く勢いにのまれてパタンと倒れてしまう牛もいる。脚が開いてしまう転び方だと、焦っているしすぐには上手く自分で立てない。そこで脚を捻って怪我をしてしまうこともあります。

 

牛は「脚に怪我を負ったら命取り」と言われているすごく弱い生き物。だから牛が焦って転び屠殺の対象にならないように気をつけて牛追いをしていました。臆病だからちょっとした音にも驚くし…

 

Lisa:屠殺の対象にならないようにと。

 

丸山:転んだ牛を起こす時、起きない牛がいたらいつも冷や冷やしていました。

 

今思い返せば、不調は脚から来るものだと皆わかっているのに、牛舎の床が(脚を滑らせやすい)コンクリートなのはなぜかというと、確認していませんが、おそらく単に掃除のしやすさだと思うんです。コンクリートの上に常に糞をして3〜5㎝位の厚さになっているから、掃除をしないとコンクリートが見えない状態です。

 

Lisa:掃除の頻度はどれくらいですか?


丸山:1日に2回、ブルドーザーを使います。

 

Lisa:ブルドーザーを使って掃除とは、大量さが伝わります。


丸山:一応、滑り防止のためにおがくずを撒きますが、それでもやっぱり滑ります。そもそもコンクリートの床でなくてもいいのではと思います。

 

屠殺場へおくるとき

 

廃用牛(はいようぎゅう):お乳が充分に出なくなったり、妊娠できなくなった女性の牛のこと。起立できなくなると廃用になる牛もいる。

 

Lisa:「廃用牛」とされた牛や雄の子牛を屠殺場行きのトラックへ載せる「出荷」に立ち会った経験はありますか?その頻度などは覚えていますか?

 

丸山:牧場の規模によりますが、自分の場合は研修中の1年で4軒回って、実際立ち会ったのは1ヶ月に1頭いるかいないかだったと思います。

 

雄の子牛を送り出す際は「また違う土地で行ってらっしゃい」。

 

Lisa:男性の赤ちゃんは生後すぐに屠殺場送りでなく、肥育農家へ売るケースなのですね。「これから別の場所で成長するんだ」という認識だからでしょうか。

 

丸山:そうですね。研修先の酪農家さんでは雄の子牛の行き先の肉牛屋さんとも交流がありました。母牛が赤ちゃんを出産し、子牛が雄なら「〇〇さん(肥育農家)のところだね」、雌なら「うちでこれからよろしくね」と。それくらいの感覚です。

 

NOTE
牛を食肉用に太らせる肥育農家/肉牛農家を「肉牛屋(にくうしや)さん」と表現しています。初産では体の小さな赤ちゃんができる肉用牛の精子で妊娠させられるケースもあり、その赤ちゃんは「交雑種/F1」と呼ばれ高値で売れます。それだけ種牛の男性のホルスタインは体が大きく(体重1t以上)で、母体への負担が大きいのでしょう。妊娠中も彼女達の搾乳は立ち姿勢で続きます。


トラックに入りたがらず涙を流す牛

 

Lisa:屠殺場行きのトラックに牛を載せる時はどう感じましたか?

丸山:初めて立ち会った時は、呆気なかったです。悲しむべきシチュエーションのはずなのに周りの人達が仕事の一環として進める手順があまりによく、それに対して衝撃を受けた記憶があります。みんな明るく、牛をトラックへ誘導し「ほらほら行って行ってー」「よしよしいい子だね」と声をかけていました。(脚の調子が芳しくない牛に)「よく動いてるねー」「あ、ちゃんと行けるじゃん」とも。

自分だけが悲しい感情を表に出すような雰囲気ではなく「え?この子、今から殺されちゃうんだよね?」と戸惑っているうちに終わってしまいました。後で、その子が隔離されていた空っぽの小屋を見て、「ああ、居なくなっちゃった」と悲しさや寂しさをじわじわ感じました。

Lisa:出荷の時は寂しさを感じていられる雰囲気ではなかったのですね。

丸山:牛も辛い時には涙を流すといいますよね。ある牛は、なかなかトラックに入らず、すごい雄叫びをあげ、涙も流していました。その農家のAさんは日頃からとても愛情深い人なのですが「もう見てられない」と言い、その場から立ち去って泣いていたのを思い出した。その姿に自分も悲しくなった記憶があります。

自分が一番お世話になった農家さんで、いつもAさんのかけてくれる優しい言葉や行動に感動してしていました。