不登校で良かった、5つのこと – 学校に行かなかった頃5


中学生から登校するようになり、不登校だった頃を少し振り返えられるようになった頃、
気付けば
「わたしが学校に行くのをやめてよかった。」
と強がりでもなんでもなく、自然に思うようになっていました。

不登校だからこそ、体験できた・得られたことはちょっと考えただけでも沢山思い浮かびます。
その中からあえて5つ挙げると…

不登校で良かった、5つのこと

  1. 好きなことをずっとできた
  2. 嫌なことを無理にやらなくて済んだ
  3. 家庭と学校以外の大人に会えた
  4. 学校では教われない知識や情報との出会い
  5. 自分で考える時間を沢山持てた

1. 好きなことをずっとできた

3時間も5時間も思う存分ずーっと絵を描く。本、漫画を読む。
興味の赴くままに。
集中しすぎて時には食べることもトイレに行くのも忘れて!

心理学では「フロー」だとか「ゾーン」という状態。

大人も子どもも関係なく、
興味を持ち、情熱を持ち没頭する充実感。

その点、学校の授業はもったいない。
例えば、
ある子が算数の授業をもっともっと楽しんでいたくても
45分後のチャイムを合図にズバッと切られる。
手を止め、別の教科の準備に入らなければならない。

溢れる集中力を細切れにしてしまうのは実にもったいないなあ。

誰にも止められることなく没頭できる時間はただただ幸せです。

2. イヤなことを無理にやらなくて済んだ

まず、学校に行くこと自体がイヤだったのでそれをやらずに済んでよかった!

わたしの場合は中学進学をきっかけに学校に行き始めましたが、それはあくまでも自分で選択したこと。

「ほら、中学校なら心機一転だから行ってみたら?」
…と誰か大人に促された記憶はありません。

「共同作業ができる大人になれるように…」
「集団行動ができないと将来困るから…」
学校に行かない子を目の前に心配する気持ちはわかります。
けれど、
何歳になっても本当に必要になればやれないことはない!

大人にできること。
それは、
学校の外に居場所を見つけるサポートではないでしょうか。

イヤな気持ちを抑え続けた結果、感情や直感が麻痺してしまうよりも、
今、あなたにとってそれがイヤなら
“イヤな気持ち”を感じている”自分”を尊重してよい。
そうわたしは思います。

3. 家庭と学校以外の大人に会えた

母はわたしをいくつもの場に連れて行ってくれましたが、その中のひとつが陶芸教室。
平日の昼間。
他の生徒さんに小学生や中学生はいません。
陶芸の先生夫婦を含めてほんの4、5人の生徒さんに、母とわたしが混じる。

「子ども」だとか「小学5年生」だとか「女子」だとかを気にせずに、ただ一人の人間としていられる場所。
こちらも「おじさん」「おばさん」「大人」なんていうラベルを忘れる。
(ラベリングについての記事は以前書いています
整理整頓じゃない「ラベル」の話 – Labeling
なりたい自分になる「心のラベル」- Labeling

ふつうの習い事のようだけど、同年代の同じ学校に通う子も一緒の習い事ともちょっと違う。
学校でのキャラクターやポジションの延長線上にはない自分がいました。

4. 広い知識や情報との出会い

みんな、生まれながらに好奇心が備わっていると思うのです。
3年間は学校で勉強しなかったけれど、きっと学習指導要領に収まらないくらいの知識を吸収していました。

どこから?

テレビ・雑誌・本・インターネットなどのメディアや、先にも書いた学校以外で出会った人たちから。

「子ども用」に作られたものじゃない、
誰かが作った”子ども向けコンテンツフィルター“のかかっていない情報に触れる日々。
(他のフィルターがかかっているとはいえども…)
さまざまな日本語表現や漢字の読みに関しては中学でも高校でも全く困らなかった。
それは漫画や本から自然と吸収していたから。

教科書やテキストには
“◯歳にはだいたいこれくらいの発達をしているのが平均だから、◯年生はこの難易度で…”という、
悪気のない大人の判断が挟まっているような感じがします。
自分をとりまく広い世界と、
情報を受け取る自分の間に。

そうして12歳までに得た知識で、ハタチくらいまでは乗り切った気がします。
そして、中学校に行き始めてからもテストの答案に書く”答え”は”正解”とは限らない、と割り切って受験勉強なんかをしていました。

5. 自分で考える時間を沢山持てた

期間にしてみればたった3年間ですが、とにかく考える時間はありました。

「どこからどこまでが自分なのか?」
「時はどこまで続くのか?」
そんなことばーーっかり考えてました。

そしてその考える時間は、考えるクセとなって今も持ち続けています。

学校に通っていたら聞こえてくる、同年代の子たちの間で流行っているトピックも知らない。
だから「流行」という方位磁針に影響を受けることがほぼなく、
ただ興味の赴くままに思考の海へと漕ぎだしてゆけたのかもしれません。

何か新しいものに出会った時、思考の海へと潜っていってそれを探り当て、言葉にする。
そのベースになる時間でした。
考えすぎて抜け出せないのもまた考えものですが、とことん思考する時間があってよかったと感じています。

自分で選んだから

「不登校で良かった、5つのこと」と題して書いてきました。
特に「1. 好きなことをずっとできた」と「 2. イヤなことを無理にやらなくて済んだ」は小学生や中学生の時代に限らず、生まれた時から死ぬその時までずっとできたに越したことはない!と思っています。

冒頭にも書いた
「わたしが学校に行くのをやめて、その経験があってよかったな。」
と自然に思うのは、
自分で選んだことという感触がしっかりあるから。

学校に行くのをやめて3年後に、また学校に行き始めた。
理由は、わたしがそうしたくなったから。

もっともっと長くても、きっと良かった。
自分がそう選んだなら。(親は心配しただろうけど)

結論、
自らの選択なら行っても行かなくてもいい。

家の中で毎日毎日ずーっと何をやってたかは、またの機会に詳しく書こうと思います。

あなたの貴重なお時間、ありがとうございます。
では、また^^