おかげさまで学校へ行かずに済みました

わたしは3年間小学校に行かなかったのだが、
それについて周りの大人に感謝している。とても!

なぜなら、学校に行きたくないわたしを
行かせようとしなくなったから。

それが「諦め」だったのか、「受容」だったのか、
その両方だったのかはわからないけれど。

 

本屋が好きでよく行く。そこで時たま不登校に関する本を手に取ることがある。
棚に並ぶのは、教育現場の専門家…?たちが著した本で、「どうやって再び登校させるのか」や「不登校の原因は何か」
にフォーカスするものが目につく。

「… 全然ちがうんだよなあ。」
ため息をつきながら本を閉じ、棚に戻す。

“登校がデフォルト” の観念に基づくこの類の情報を元に
たまたま登校とは別の選択をした(あるいは「したい」)彼ら
分析され、接し方を考えられているのかと想像すると、
胸が締めつけられる。

著者にも編集者にも読者にも悪気がないのは、わかる。

悪気はない。
受け入れていない。
諦めてもいない。
…何を?

YESか、NOか

学校に行きたがらない10歳のわたしの望みを
周りの大人、特に母や担任のS先生がさっさと受け入れてくれたわけではない。
その様子は以前書いた。(下手な文章で失礼!)

いま、わたしは思う。

当時、彼女(母)が諦めなければいけなかったのは、
我が子にとって何が必要で何が大切かを一番わかっているのは、親である自分
という信念
ではないか。

状況や選択肢に対し、どう感じるかは本人だけにわかるのだ。
(直感にしっかりと耳を澄ませば!)

「登校」という選択肢に対して、10歳のわたしが感じたのは「NO」だった。

理由は、自分にだってわからない。
ましてや親にも先生にも、誰かにわかるはずがない。

あなたが何となく海ではなく山の方に引っ越したい、とか
あるサッカー選手が提示年俸の低い方のチームを選ぶ、とか
ある作家がなぜかガーデニングを始めたくなり、しかも育てたいのはなぜか食べられるハーブや野菜ではなく花なのだ、とか
理由はさておき、感じで選択するのはよくある。
(下2つは実話)

そもそも、「なぜAではなくBを選んだのか」いくらもっともらしい理由を説明できたからって
多くが後付けの作り話だ。
理由を聞くのは自由だが、それが本当の理由かは本人にもわかっちゃいない。
脳科学ではチョイス・ブラインドネス (choice blindness)という。
参考:脳科学と組織科学の境界 | 渡邊 克巳(東京大学 先端科学技術研究センター 准教授)

大人だから、できたこと

さて、
学校には行きたくないし、居たくない。
それはわかった。

では、どこなら行きたいのか?居たいのか?

ひとつひとつ、
「行ってみるかい?」と聞いて
回答が「YES」でも「NO」でも、わたしの意思を尊重した。

もちろん、もちろん! 強制も、押し付けもせず。
不登校で良かった、5つことにも少し書いた)

母はわたしから「YES」が出るところへ連れて行ってくれた。

実質的な側面として下に挙げるのは
母が大人であり、保護者だからこそできた点。
自由度が10歳のわたしよりもずっと高い。

  • 情報
    知り合いに相談する、本などで情報収集。90年代後半でインターネットがやっと一般家庭に普及し始めた時代。
    我が家にもデスクトップのパソコンはあったが、使うのは父かわたし。もちろんダイヤルアップ接続!わお。
    機械の苦手な母がネット&パソコンで情報収集するはずもなく、
    それでなくても情報を発信する組織・個人の絶対数はまだまだ少なかった。
    だから、大人が持つネットワークが情報のほとんど全てだった。不登校の小・中学生が定期的に集まる会の存在など、母が友人知人に話すうちにわかったこと。
  • 行動範囲
    車があり&運転できる。住んでいたのは北海道の地方都市、車社会。
    もっと年齢が高かったなら、自分で外に出て行ったかもしれないが
    当時はひとりで街に出かけるなんてしたことがなかった。
    自転車で友人宅へ遊びに行くならともかく、
    知らない人だらけ&初めての場所へ自ら足を運ぶなんて考えられない。
    どこかへ行くには大人の助けが必要だった。

そんな訳で

当時の自分にはそれがどれだけの労力と時間と愛からの行動なのか、わかっていなかった。

いまはただただ、ありがたい。
愛しか感じない。
感謝しても感謝してもしきれない。

父も母も20世紀の日本で生まれ育ち、
学校に行くのが当たり前で、
3人の娘ができ、
のびのび育ててきたと思ったら…

次女が思春期を待たず
まるで虐待の末に保護された野良犬のように大荒れで、
毎日のように泣き叫ぶは
マイホームの壁を蹴って穴を開けるは、
引きこもるは…

彼らはまだ30歳代で、
我が娘ながら
もしかしたら恐ろしかっただろうし、
きっと時には憎かっただろう。
辛かっただろう。

あの時、
学校に行かせるのを諦めてくれて、ありがとう。